「集団生活に向いてない…」
「自分は社会不適合者かも…」
ちゃんとした人間として生きようとする内向型HSPの人だと、このように感じることも多いのではないでしょうか?
第2章では、このように悩むジロウモンが、自分の性質を分析しながら痔瘻に応戦していく体験談を書いています。
この章を読めば、不都合な自分の性質との戦い方が見えてくるはずです。
ぜひ最後までお読みください。
まだ、第1章を読んでないって方は、ぜひ第1章からお読みくださいね!
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ぜひnoteにもご訪問くださいね!
第2章「10年にわたる痔瘻との攻防戦」
「モラトリアム期間」
ジロウモンは、将来に対して悲観的になっていました。
「もう人生終わりだ…」と考えてしまったからです。
「クローン病が進行したら、どうなってしまうのか?」
「排泄機能を失ったら、どんな暮らしが待っているのか?」
調べれば調べるほど、マイナスな情報ばかり出てきました。
この時は、本当に絶望しましたね。
ただ、それでもジロウモンは、今後どうしていこうかと必死に悩みます。
そして、出てきた結論は「浪人をしよう」というものでした。
吹奏楽部をやめてまで勉強に時間を費やしてきたのです。
絶対に志望校を諦められないという感情があったんですね。
しかし、浪人は両親から反対されました。
両親は両親で、
「とにかく大学に入学して身分を安定させてから治療に専念してほしい」
そう考えていたのです。
また、そもそもクローン病だった場合、県外に出たところで1人暮らしができるのか?という懸念もありました。
受験に失敗したとはいえ、当時はまだ3月。
地元の大学では、後期の試験が開催されています。
この時のジロウモンは、「このまま一生社会のお荷物のまま生きていくのか?」という劣等感に支配されていました。
弱気になっていたジロウモンは浪人を諦め、地元の大学の試験を受ける道を選びます。
結果は、無事合格。
その後、入学を決めました。
「痔瘻、消える」
4月1日、地元の大学に入学しました。
大学とは、今までの小・中・高の学校生活とは大きく環境が変わるライフステージです。
場所・人・生活時間、全ての環境が一気に変わります。
人生に絶望していたジロウモンでしたが、この環境の変化がジロウモンの人生にプラスの効果をもたらしました。
環境が変わったことで、痔瘻の症状が改善していったのです。
理由は誰も説明できませんでした。
「とにかく体調が大きく回復したという状況」が生まれたのです。
また、入学後は先送りにしていたクローン病の検査を受けました。
口やお尻からカメラを入れて、胃・大腸・小腸をくまなく調べます。
検査は全部で4回ありましたが、検査の中でも一番きつかったのは小腸上半分の検査でした。
しかし、この苦しかった検査。
結果は、ジロウモンにとってありがたいものになりました。
「現時点ではクローン病になっていない」との診断だったからです。
もちろん、食生活などの指導はされますが、医師から健康な状態だとのお墨付きをもらえました。
このことは、ジロウモンにとって「大きな転換点」となります。
イメージしていた最悪の未来は回避できたと思ったからです。
一気に肩の荷が下りた感覚になりました。
そして、ジロウモンは考えます。
痔瘻の原因。
それはおそらく「ストレス」でした。
なぜかというと、だいたい痔瘻になる前はストレス対処をしている場合が多かったからです。
対処しきれないと体調が悪化していき、痔瘻の発症へとつながっています。
このことは、少し前からうすうす自分で感じてはいました。
感じてはいたのですが、ジロウモンは頑固なので、今まで根性でどうにかするべきだと考えていました。
「ストレスなんかを言い訳にしてはいけない」という思い込みがあったのです。
「この程度で根を上げちゃダメだ...」
「だって、みんなそうなんだから...」
そんな考え方に縛られていたんですね。
しかし、5回の痔瘻を通して痛烈に実感します。
「人生、ただただ根性で頑張っていれば生きていけるわけではない」のです。
「その結果どうなったのか?」
こことしっかりと向き合っていく必要があります。
もちろん、そこまでの過程や日々の努力は大切なことでしょう。
諦めない精神を持ったり、人のアドバイスを素直に聞いたりする姿勢は、社会的に望ましいことなのかもしれません。
しかし、結果的に「体を壊していては元も子もない」のです。
体を壊した結果、難病になってしまっても、それはもう受け入れざるをえなくなります。
誰も責任はとってくれません。
ひどい状況になる前に自分で手を打つしかないのです。
「健康を第一に考える」
後悔しない人生を送るためには一番重要な心構えだといえるでしょう。
そう考えたジロウモンは、より「健康」を科学的に捉えていこうと、心理学・脳科学・ビジネス本などに触れ始めるようになりました。
以下のような観点から、「健康」に生きるためのアプローチをしていったのです。
⛏️自分に合った環境設定
⛏️体調やメンタルを整える適切な考え方
⛏️ストレスに対する効果的な対処方法
このような点を意識して、日々の生活を作り変えていきます。
その結果、体調はさらに回復。痔瘻の症状も完全になくなっていきました。

自分の健康は自分の手で守る。
あなたは「ご自身の体を労わってあげる」こと、普段からできていますか?😌
「再挑戦」
痔瘻の症状はなくなりました。
痔瘻自体が治ったわけではありませんが、症状が全くないのであれば痔瘻の手術をする必要はありません。
ジロウモンは、ようやく、今までの「痔瘻ループから抜け出せた」感覚になりました。
「ようやく自由になったんだ…!!」という実感が沸き、一気に視界が開けたのです。
すると、1つ心残りを思い出しました。
大学受験です。
痔瘻ばかりに気をとられて、不完全燃焼で終わっていました。
そのため、体調が回復すると、大学受験に再挑戦できないかという想いがふつふつと込みあがってきます。
「健康な状態でもう一度挑戦がしたい!」
こう思ったのです。
そこで、ジロウモンは1つの決断をしました。
仮面浪人という方法です。
ジロウモンは、体調が回復すると、両親に頭を下げました。
どうにか1回だけ再チャレンジのチャンスもらえないかとお願いしたのです。
すると、条件付きで仮面浪人を許してもらうことができました。
その条件とは「山梨から通学できるところ」でした。
ここは山梨。
東京に最も近いど田舎です。
頑張れば通うことも出来ます。
山梨は2〜3時間くらいあれば鈍行でも東京にアクセスできる場所なんです。
電車の中も、都市部ほど混んでいるわけではありません。
しかも、学生であれば学割が効きますから金銭的負担も少なくて済みます。
はじめて「首都圏山梨」に住んでいて良かったと思いました。
こうして、ジロウモンは仮面浪人の道を選びます。
後は全力で打ち込むのみです。
どうすれば、自分の体調が快調になるかを第一に考えて取り組みました。
また、この頃は理解のある友達にも恵まれ、集中して勉強に取り組むことができる環境があったため、学力は日に日に上達していきます。
やり方と環境が変わっただけで、自分の状態が大きく変わったのです。
そして、迎える翌年の2月。
無事、志望校から「合格通知」が届きました。
「志望校へ入学」
必死に掴み取った志望校への入学。
せっかく手に入れた機会は、存分に有効活用しなくてはなりません。
まずは、とにかくいろんな人に会ってコミュニケーションの幅を広げておくことが大切だとジロウモンは思いました。
様々なタイプの人の特徴を幅広く把握しておけば、そこから生じるストレスにも前もって対処できるはずと考えたからです。
社会的な場で適切な対応ができる人間であれば、ストレスでお尻を壊してしまう内向型HSPだろうと社会的に問題ありません。
そのため、以下の点を意識して過ごしました。
⛏️どんなことに人の需要が発生するのか理解する
⛏️できるだけその需要にマッチした対応ができるようにする
⛏️外向性の強いタイプとは距離をおく
⛏️体調が崩れた場合は、必ず体調管理を優先させる
上記のポイントに気を付けた結果、ジロウモンは自分の体調を管理・維持しながら大学生活を送っていけました。
病気をあまり意識しないで送れる大学生活は、充実した時間となります。
様々なタイプの人とコミュニケーションをとったことで、自分の性質をより詳しく把握できるようになったからです。
とくにその中でも、ジロウモンは人の感情を人よりも感じ取りやすいと理解できたのは大きな収穫でした。
HSPは「刺激に弱い」というデメリットはありますが、逆手にとれば、「人がどう感じ何を考えているかは初対面でも感じ取りやすい」というメリットになります。
感じ取った需要を考慮した反応や行動をしていくことで、適切に人の需要を満たしていけるのです。
また、入学後は、昔からずっと興味があった軽音楽サークルに入ることができました。
様々なアーティストをコピーしていったサークル活動は、今でも大切な思い出となっています。
「健康な状態でやりたいことに挑戦できる」こと。
これが日々を充実させ、幸せな人生の実現につながっていくのです。

「VS痔瘻」
しかし、その生活も長くは続きませんでした。
大学2年生になると、だんだんと体調が悪化し始めます。
お尻も少しずつ荒れていきました。
大学1年生の頃のような健康な状態が維持できなくなっていったのです。
なぜか?
原因は「人の集団化・親密化」にありました。
内向型HSPは、集団化や親密化が始まる環境がかなり苦手です。
「人との距離が近づいていく」
それだけで大きなストレスを受けてしまうからです。
実際、小・中・高と体調が壊れた時、一番ストレスを大きく感じていたのは集団生活でした。
大学では、ある程度自由な生活にはなりましたが、ジロウモンは、時間の大半をずっとやりたかった軽音楽サークルの活動に費やしていました。
1年も経てば、人の集まりは次第に集団化し親密化していきます。
このことが内向型HSPにとっては、悪条件となっていったのです。
内向型HSPには「1人にならないとエネルギーが充電できない」性質があります。
数時間、人と一緒にいるくらいであれば問題ありませんが、コミュニケーションが増えたり、関係性が深まったりすると大きなストレスが発生してしまうのです。
そのため、内向型HSPはある程度人付き合いの制限が必要だといえるでしょう。
ストレスを減らすには、1人になれる時間を増やす必要があるからです。
しかし、集団化し親密化された関係性の中では、それもなかなか厳しいものがあります。
なぜなら、内向型HSPは「一般的じゃない」からです。
内向型HSPの性質を伝えたとしても、理解を得るまでにはかなりの労力が必要になります。
聞く耳はなかなか持ってもらえません。
「普通はそうだよ」
「他のみんなもそう言ってるよ」
こう言われてしまうと、人に合わせざるをえなくなってきます。
人と親密な関係になっていくことって、本来喜ばしいことだとされていますからね。
いつまでも親密になろうとしない人は、なかなか社会的に認められないのです。
「もっと普通の心と体を持っていたらどんなに良かったことか」
ジロウモンは、今までの痔瘻人生から、そう考えていました。
だんだん「普通」に呑まれていくようになります。
多くの内向型HSPが、この段階で悩まれるのではないでしょうか?
「人から理解されない」
このように感じている内向型HSPの方は多いです。
「普通の中にない価値観」って周りから理解されにくいですよね。
世の中の人からは、なかなか「いいね!」のボタンは押してもらえません。
どうにか体調を保っていたジロウモンも、内向型HSPの性質からくるストレスに対応できずとうとうお尻に限界がきます。
危機感を感じたジロウモンは、学園祭が終わったタイミングで、サークルの活動から距離をおくことにしました。
辞めるまではしませんでしたが、必要最低限の距離感で付き合う必要があったのです。
その結果、この時は、無事「痔瘻の回避」に成功します。
「今までの経験が生かせた」んですね。
もう「穴付き座布団」に座る暮らしなんかには戻らないのです。
しかし、同時にジロウモンは、強い危機感を覚えました。
「このままでは、これからの人生を生き抜く方法がない...」
そう思ったからです。
基本的に社会は、集団の中で動いています。
就職をする上で、この内向型HSPの性質は非常に不都合なのです。
そこで、ジロウモンは考えます。
まずは、仕事の経験を増やそうと空いた時間にバイトをすることにしました。
それまでも、大学の長期休みを利用して、1か月ほどの短期のバイトなどをしていましたが、長期でのバイトも経験しておくべきだと考えたのです。
家の近くのスーパーでバイトを始めました。
17時から21時までのバイトです。
そのバイトでは、商品の品出し・値引き・掃除など雑務全てを担当します。
そこで、大きく痛感しました。
ジロウモンの作業スピードは明らかに遅いのです。
内向型HSPは、情報処理に時間がかかる傾向があります。
一般の人と比べると、スピーディーに物事を処理できるタイプではないのです。
そのため、21時に終わるはずで設計されている仕事も、毎回22時近くまでかかってしまうことが多々ありました。
20時以降は職場に人がいなくなり、1人きりで作業ができたため何とか続けられましたが、素早く仕事ができるようなタイプではないことをこの時、強く自覚します。
「どう仕事を選んでいくべきか?」
これ以降、真剣に悩み続けました。
そして、大学3年の秋頃になると、大学の単位も大体取得。
サークルの活動も学祭を機に一旦終了しました。
バイトもこの頃辞めています。
とうとう就職に取り組む時期がやってきたのです。
「内向型HSPの就職活動」
ジロウモンの時の就活は一般的に3月スタートと言われていました。
しかし、ジロウモンは早めに前の年の11月頃から動き出します。
周りと一緒のタイミングで動き始めていては、1人だけ失敗していくことが目に見えていたからです。
まずは、手当たり次第にセミナーや面接練習、企業訪問などの活動に取り組みました。

そうして、数多くのセミナーや企業の面接を受けていくと、1つの目指すべき方向性が見えてきました。
それが「ニッチ×メーカー×子会社」という方向性です。
この方向性なら、内向型HSPでも働いていけるのではないかと考えたのです。
その理由は以下の通りです。
⛏️参入障壁が高くレッドオーシャンになりにくい
⛏️スピード勝負の仕事になりにくい
⛏️募集が少なく同期が少ない
⛏️応募も少なく良い人材がライバルとならない
⛏️ガツガツとした刺激を発するタイプが応募してこない
ジロウモンは、上記のような理由で就職先を絞っていきました。
内向型HSPは、処理能力が速いほうではありません。
「情報を深く処理する」傾向があるからです。
また「刺激に敏感」な傾向もありますから、バイタリティーがそこまである方ではないでしょう。
そのため、働く際には、上記のような点を重視していく必要があります。
ニッチ×メーカー×子会社の企業であれば上記の点をクリアしている可能性が高いです。
実際ジロウモンが入社した会社も、業界はほぼ寡占状態でしたし、競争が激しい業界ではありませんでした。
同期も1人しかいませんでしたから、内向型HSPにとっては好都合の環境です。
社風も穏やかで、決してはりつめた空気などはありませんでした。
このように、内向型HSPは「働く環境」を意識することが大切なのです。
途中で退職する会社とはなりますが、
今でも、これ以上の就職先はなかっただろうと思っています。
環境に適応するんじゃなくて、自分に合う環境を選ぼうとする。
あなたも「人生って、案外身の周りの環境次第なのかも…」と感じた経験、あるんじゃないですか?😌
「新社会人」
ジロウモンは東京の会社に就職しました。
ただ、会社の場所は割と東京の東側にあったこともあり、住む場所は千葉県にしました。
都心は、内向型HSPにとって刺激が大きく住みにくかったからです。
人が多すぎて休日ですら疲れてしまいます。
そのため、千葉から東京に通いました。
メンタルの健康を保つことは最優先課題なのです。

入社後配属されたのは、社内システムなどの管理の仕事でした。
IT関係は苦手でしたが、会社の人は優しい方が多く、何とか仕事をこなしていきます。
社内のPC関係についての問題が起きたら真っ先に連絡が来る部署だったので、PCに対する基礎知識はこの時身につけられました。
入社1年目は比較的、精力的に仕事ができていたと思います。
しかし、2年目に入ったぐらいから、体調がだんだんと悪くなっていきました。
ジロウモンは結局いつも、体調を維持することができません(笑)
本当に悲しいことですね。
とはいえ、体調が悪化する可能性は今までの経験上、想定済みです。
対策は何個も用意してありましたから、痔瘻にならないようにだましだまし切り抜けていきました。
体調を維持しながら何とか仕事を続けていきます。
それでも、社会人3年目の終わり頃になると「いい加減、環境を変えたほうが良いのではないか?」と思い始めました。
なぜかというと、仕事のパフォーマンスが明らかに下がり続けていたからです。
お尻もどんどん荒れ始めていました。
そのため、どうにか「自分の体調をキープできる環境はないか?」と、転職も視野に入れながら仕事をし始めます。
すると、突然人事から呼び出されました。
営業への異動を命じられたのです。
もしかしたら、そういう素振りが出てしまっていたのかもしれません。
異動を命じられたジロウモンは迷いますが、営業に挑戦してみるべくその異動を了承しました。
「内向型HSP、営業になる」
社会人生活4年目を迎える頃、営業に異動となりました。
それまでは、完全な内勤でしたので大きく仕事内容が変わることとなります。
しかし、そのタイミングで、大きな世界的事件が発生しました。
「コロナ」によるパンデミックです。
営業に配属されたのはいいものの、しばらくは在宅勤務となりました。
しかし、不謹慎ではありますが、体調が悪化していた内向型HSPのジロウモンにとって、コロナによる環境の変化は体調を整える良い機会となりました。
人とコミュニケーションをとる機会が減ったからです。
職場でのコミュニケーションはもちろんですが、アフターファイブや土日についても、人と会わないようになります。
「人と会わないで良い」という正当性がこの時、生まれたのです。

人とのコミュニケーションの量が減った結果、体調は回復していきました。
不安定になっていた生活リズムもだんだん改善していきます。
そして、調子を取り戻してきた頃、コロナについての概要も判明してきました。
どうやら、人類を滅ぼすようなウイルスではないようです。
緊急事態宣言が解除されたことをキッカケに、出社や出張が増え始め営業として本格的な仕事が始まっていきました。
ただし、営業の仕事といってもニッチな業界のメーカーですので、飛び込み営業はほとんどありません。
基本的にはルート営業です。
ジロウモンが、営業への異動を承諾した理由もここにありました。
ルート営業ならば、内向型HSPでも十分可能性がある分野だと考えていたからです。
営業の仕事も前向きに取り組んでいけました。
実際、お客さんのもとを訪れ、会話をする分にはそこまで抵抗を感じませんでしたし、お客さん一人一人と向き合って営業活動ができたと思います。
個人的に連絡をとりやすい関係性も構築できました。
売上も目標に掲げた数値を達成できましたから、一定程度成果は上げられたといえるでしょう。
しかし、問題は結局、組織人としての集団性や人とのコミュニケーションの頻度でした。
仕事は、1人ではできません。
社外であろうと社内であろうと、どうしたって人とのコミュニケーションは増えてきます。
ただ、内向型HSPであるジロウモンには、普通の人にとってはどうってことのないコミュニケーションも、処理しきれない大きな負担となっていきました。
できる限りの手を打ちながら仕事をしていきますが、ついに限界が訪れます。
とうとうアイツがお尻から顔を出したのです。
「痔瘻、再発!?」
お尻に大きな「しこり」ができました。
懐かしい思い出となっていた「しこり」です。
さんざん「しこり」が顔を出さないように気を付けてきましたが、対処しきれませんでした。
ジロウモンは、腫れあがったしこりを治すべく、そして「ゴロウ」が再発してしまったのかを確かめるべく、病院へ駆け込みます。
すると、受診した医師からは「うーん、これは9割方痔瘻だね」と言われました。
その後は、痔瘻は手術するしかないということをいつものように説明され、手術日はいつにするかと聞かれます。
しかし、このジロウモン。
手術日はどうすると聞かれたからといって、もうおいそれと手術を承諾するわけにはいきません。
なぜなら、手術をすれば治るなんてことはないと今までの人生で学んできているからです。
次、お尻にメスを入れれば、排泄機能を失う可能性があります。
ましてや、排泄機能を失うことによって日常生活のストレスが増えてしまえば、クローン病だって発症してしまうかもしれません。
最悪の状態を回避するためには、痔瘻の症状が出ていない状況を作りだすしかありませんでした。
「痔瘻にならないためにできることを全てやっていく」
これが、ジロウモンが生きていくための軸です。
そのため、手術は断りすぐに有休をとってストレス対策に全力を注ぎました。
すると、案の定2〜3週間ぐらいで、お尻の症状も緩和していき、だんだんと症状がおさまっていきます。
やはり、日々のストレスが一因となっているようです。
また、昔診察してもらった医師が東京にいるという情報をつきとめ、その医師のところに受診します。
診察をしてもらうと、「症状が緩和しているから判断はつきにくいけど、これは痔瘻じゃなくて膿皮だと思う」と言われました。
「膿皮」
簡単に説明すると「皮膚の中に細菌が入り炎症を起こす病気」です。

膿皮は、中に溜まった膿をメスなどで切って出す必要がありますが、「手術」が必要なレベルではありません。
痔瘻より軽度な病気だといえるでしょう。
その病院には、超音波で痔瘻の有無が感知できる機器があったので、今回の「しこり」が痔瘻なのか濃皮なのか、区別するため超音波検査を受けました。
そして、検査の結果。
わかったのは痔瘻ではなく濃皮だということでした。
ジロウモンは、安心しました。
最悪の事態は免れたと思ったからです。
しかし、同時に医師からバッドニュースについても伝えられます。
それは、「5回目の痔瘻は消えていない」ということでした。
症状が出ていないだけで、お尻の爆弾はずっと存在し続けているのです。
高校3年生の時にそう説明されたので、頭ではわかっていましたが、ジロウモンは、改めて痔瘻がずっと存在していることを強く実感しました。
また、痔瘻の症状が出るようなら手術をしなければならないのです。
診察後、ジロウモンは、仕事を辞めるべきなんじゃないかと考え始めます。
どう考えても組織の中に所属していること自体が、痔瘻の症状を悪化させているからです。
当時、HSPという概念が世間一般に広がっていた時期でした。
ジロウモンもHSPという概念に大きく自分が当てはまっていると感じます。
自分が内向型である自覚は小さい頃からありましたが、HSPであることはこの頃自覚しました。
「自分は会社員に全く向いていないんじゃないか?」
ずっと頭の片隅にあったことでした。
しかし、会社員に向いていないからといって、そう簡単に会社員はやめられません。
個人で生きていこうなんて、会社員として生きるよりもさらに難易度が高いからです。
内向型HSPの人は「リスクを避ける」傾向があります。
「衣・食・住を満たせなくなるかも…」というリスクを考えると、会社を辞めるという選択肢は選べませんでした。
そのため、とにかく痔瘻が再発しないよう、細心の注意を払いながら生活し、仕事に取り組んでいく道を選択します。
「うつになる」
営業に配属されて2年が経とうとする頃、「うつ」になりました。
朝、会社に行こうとすると吐き気が止まらない...。
夜は眠れず、頭の中が不安と疲労でぐるぐる状態...。
そして、お尻はもう爆発寸前...。
「もう結局、どんな手を打ったところでダメなんじゃないか…」
こんな思考が頭を埋め尽くし、体がほぼ動かなくなっていったのです。

高校3年の頃と似たような状況だなと感じました。
あれから10年。
「どうにかしてまともに生きられる方法を身に着けなければ…」と試行錯誤してきましたが、結局同じでした。
『健康って自己管理できて当たり前』なの?
『マイナスをゼロに戻す努力は生産性がゼロ』なの?
今まで飲み込むしかなかった「行き場のない憤り」が、心の奥底から込みあがってきます。
「仕方ない」で済ませられると考えている社会に、心底腹が立ちました。
しかし、この状況にデジャヴを感じたジロウモンは、今どうにかしないと『また同じことの繰り返しになる』と判断。
医師と相談をした結果、1か月の休職となります。
医師からは、とにかく体調の回復を最優先にしてくださいと言われました。
そのため「体調の回復を第一」に療養をしていきますが、同時にジロウモンは、今後どう生きていくかについても考え始めます。
「早く人生の方向性を見つけないとマズイ」と思ったからです。
「この状況からどうにか抜け出さなければ...」
と焦っていたんですね。
しかし、これがあまりよくなかったのかもしれません。
1か月後、体調が回復したので復職しますが、結局、復職後また体調を壊してしまったからです。
今考えると、復職が早かったなと反省しています。
危機感を感じたジロウモンは、5年2か月勤めた会社を退職しました。
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