こんにちは!
ジロウモンです。
ここまでアクセスしてきていただきありがとうございます。
「痔瘻5回って何?」
「内向型HSPだってどうして思ったの?」
このように思われた方もいるのではないでしょうか?
そこで今回は、ジロウモンの痔瘻人生を3章に分けてまとめました。
まず、第1章では、自分の性質をよく理解していなかったジロウモンが陥ってしまった痔瘻ループの体験談を書いています。
この記事を読めば、自分の性質を理解していない人が陥ってしまう末路がわかるはずです。
ぜひ、最後までお読みください。
※記事の途中には、note記事へのリンクも貼ってあります。
ぜひnoteにもご訪問くださいね。
第1章「無限痔瘻ループ」
「0歳時」
ジロウモンは、長野県で生まれました。
体重は2860gと、少し小さめの赤ん坊だったそうです。
すぐ泣く敏感な赤ちゃんとして生まれましたが、生後6ヶ月で乳児痔瘻という病気になりました。
乳児痔瘻とは「乳児の肛門のまわりに膿がたまる病気」のことです。
生まれて6か月。
さっそくお尻にダメージを受けました(笑)
ジロウモンの人生は0歳の時点から「痔瘻との戦い」が始まっていたみたいです。
しかし、この乳児痔瘻。
大人が通常なる痔瘻とは異なり「手術が必須のもの」ではありませんでした。
乳児痔瘻は自然に治る場合が多いからです。
実際、ジロウモンもこの乳児痔瘻では手術をせずに治りました。
なんと両親の話では、長野県の山奥にある温泉に浸かったら治ったそうです。
どこまで本当なのか私もわかりません。
ともあれ、こうしてジロウモンの痔瘻人生は始まりました。
「幼稚園時代」
幼少の頃のジロウモンは、本当に静かな子供でした。
人とあまり関わろうとせず、ずっと折り紙を折ったりピアノを弾いたりと1人でいることが多かったそうです。
さっそく内向型HSPの気質を発揮していますね(笑)
事実、ジロウモン自身、当時についての記憶はあまりなく、人とコミュニケーションをとった覚えが全くありません。友達もほとんどいませんでした。
「三つ子の魂百まで」と言われるように、この頃あらわれた性格がその人の本質的な性格なのかもしれませんね。
「小学生時代」~1回目の痔瘻「イチロウ」~
小学校に上がっても、その性格は変わりませんでした。
集団の中にいるよりも「1人でいる方が性に合っていた」んだと思います。
しかし、小学2年生になると、その状況も変わり始めました。
席替えをキッカケに、ある1人の男の子と仲良くなったのです。
その男の子は、活発なタイプであったため、ジロウモンもつられて外で遊ぶようになりました。
「外遊びって楽しいのかも…」と感じ始めたジロウモンは、他のクラスメイト達にもコミュニケーションを試みます。
自分の興味関心が「外の世界にも向き始めた」のです。
しかし、小学3年生になると問題が発生しました。
クラスメイトから「仲間はずれ」をされるようになったのです。
原因は、静かだったジロウモンが急に人と関わるようになったからでした。
というのも、話す友達が増えたことで、一部の人たちから反感を買ってしまったんですね。
この頃のジロウモンには、周りを見る力がなかったのかもしれません。
内向型は、自分の内面に意識が向きやすい傾向があります。
そのため、気をつけないとこういったトラブルが起きかねないのです。
しばらくは、遊びに誘ってくれない状況が続きました。
しかし、ジロウモンは同時に頑固者でもありました。
「なぜ仲間外れにされなければならないのか?」
納得できませんでした。
かなり「気にしい」性格なのに、納得できないことに対してはいつまでも納得できないのです。
心身には大ダメージでしたが、遊んでいるところに無理やり参加していきました。
内向型は、いつも自分の内側に興味のベクトルが向いています。
自分の考えに強いこだわりがある時は、ちょっとしつこくなりがちなんです。
ビクビクしながらも、自分の本音は無視できません。
悪く言うと、ちょっとめんどくさい人だと言えるでしょう(笑)
ただ、この時は、しつこい性質がプラスに作用したためか、仲間外れもいつの間にかなくなりました。他にも理由があったのかもしれませんが、正直今ではよく覚えていません。
それでも「人生の早い段階にこうした経験ができたのは良かった」ことだと思っています。
なぜなら、後で「自分がどういったタイプの人間なのか?」を理解しようとした際に【大きな手掛かり】となるからです。
「若いうちに色んなことをやっておけ」と年配の方が言うのは、あながち間違いではないかもしれませんね。
そんなこんなで小学校生活を送ってる中、とうとうジロウモンの人生に大きく関わってくる病気がやってきました。
「痔瘻」です。
小学4年生の時、初めてなりました。
初めての痔瘻ですから「イチロウ」とでも呼びましょうか。
イチロウは、手術をしないと完治しないタイプの病気でした。
生まれて初めての手術。
当時は「ナイフでお尻を切るなんて恐ろしい…」と結構怖がった記憶があります。
「どうにか手術から逃げ出せないかな…」と思ったものです。
しかし、手術は全身麻酔で臨んだこともあり、その記憶は全く覚えていませんでした。
気づいたらベッドの上。いざ始まったら一瞬の出来事だったんですね。
手術は無事成功。入院も5日ほどで退院となります。
痔瘻手術の傷は、新陳代謝が高い子供の方が早く治りやすかったのです。
退院後は、比較的早く日常生活に戻れました。
「中学生時代」~2回目の痔瘻「ジロウ」~
中学生になると、周りの環境が大きく変わりました。
勉強が嫌いではなかったジロウモンは、進学校に進んだからです。
宿題が増えたり、周囲の学力が上がったりなど、その環境の変化には大きく戸惑った記憶があります。
ジロウモンは、歴史や地理が好きだったので社会の成績は良かったです。
しかし、英語など興味の湧かない分野はあまり成績が良くありませんでした。
「ちょっとついていけないかも…」なんて感じた記憶もあります。
ただ、それでも内向型HSPであるジロウモンにとって、勉強はやらないと不安になるものでした。
「学生の本分である勉強はできなきゃいけないもの」だと思っていたからです。
とくに進学校に入ったからには、好き嫌いなく5教科ちゃんとできてないといけません。
そのため、当時は苦手な分野ほど勉強を頑張っていましたね。
そんな中、中2の終わり頃になると、また「痔瘻」がやってきました。
2回目の痔瘻です。
それこそ「ジロウ」ですね(笑)
再発するような病気じゃないと言われていただけに当時はショックでした。
しかし、なってしまった以上は仕方ありません。
2回目の痔瘻の手術に臨みます。
2回目の痔瘻の手術も無事成功。
ただ、退院後は思春期ということもあり「ちょっと恥ずかしいな…」という感情が湧きました。
なぜなら、登校する際は「穴付きの座布団を持っていく」必要があったからです。
「1人だけ変な座布団に座っているなんて…」
とドキドキしてたんですね。
しかし、それは思いのほか問題になりませんでした。
人は、他人のお尻にさほど興味がなかったのです。
周囲の人たちに恵まれていたのかもしれません。
ジロウモンは、なんとか日常の生活へと戻っていきました。
「高校1年生」~3日目の痔瘻「サブロウ」~
高校に入学すると、軽音楽部に入りたいなと思いました。
ジロウモンは、中学2年の頃から軽音楽に興味を持っていたからです。
内向型HSPは、音楽などの芸術分野に魅了されやすい傾向があります。
1人でギターやボーカル・作曲などに取り組んでいましたが、やはり山梨のスターであるレミオロメンのようにバンドも組んでみたいと思っていました。
しかし、ジロウモンが住んでいた場所は山梨。
田舎の高校に軽音楽部など、そう都合よくありません。
そのため、音楽は自分の趣味としてやろうと割り切りますが、そのタイミングで友達から吹奏楽部に誘われました。
「うーん、試しに見学だけしてみるか…」
と思ったジロウモンは、ひとまず体験入部してみます。
すると、同じ音楽ができる吹奏楽部に興味を持ち始めました。
その中でも興味を持ったのが「ファゴット」という楽器です。
こんな感じで吹く楽器ですね。
ファゴットは、おだやかで個性的な音色が特徴的でした。
内向型HSPは、感受性が豊かなため心地の良い音に惹かれやすい傾向があります。
ピアノやギターばかり弾いていたジロウモンは、その音に大きく魅了されたのです。
しかし、いざ入部してみると吹奏楽部はなかなかハードな部活でした。
平日の放課後はもちろん、土日祝と練習があることも多かったです。
ただ、その一方で、ファゴットを吹きながら送る高校生活には充実感がありました。
部活の忙しさもひっくるめて「高校生らしい生活が送れている」という実感があったからです。
ハードでもその年齢でしか経験できないことは、絶対やっておくべきですよね。
勉強ばっかりやっていたら後で後悔するって話は、よく聞きます。
ジロウモンも、当時そういった考えを持っていて、高校1年生の時期は必死に部活に取り組みました。
今でも吹奏楽部での生活は良い思い出として残っています。
しかし、そんな充実感のある生活も長くは続きませんでした。
また、お尻にアイツがやってきたからです。
「痔瘻」です。
3度目ですから「サブロウ」ですね。
まだ前回の手術から2年経っていませんでした。
正直、「またか!!」
と思うところはありましたが、痔瘻は手術をしなければ治りません。
3度目の正直。
そう自分に言い聞かせて、3回目の手術に臨みました。
3回目の手術も無事成功。1週間もかからずに退院できました。
退院後は、相変わらず「穴付きの座布団に座る暮らし」からスタートです。
ジロウモンは、ひとまず勉強に時間を費やしました。
それまで、吹奏楽の練習や痔瘻の入院などに時間を割いていたこともあり、当時のジロウモンの成績はあまり良くなかったからです。
吹奏楽部に復帰するためにも、まずは「成績を安定させる道」を選択しました。
「高校2年生」~4回目の痔瘻「シロウ」~
高校2年生になりました。
痔瘻の傷も塞がったかなと感じた頃、再び「痔瘻」になりました。
「シロウ」の発症です。
・・・すみません(笑)意味わかんないですよね(笑)
この頃の私も意味がわかりませんでした。
ついこないだ手術をしたばっかりだったからです。
この時ばかりは、ボキッと心が折れました。
「もう再発はないと思うよ」
「ちゃんと根っこの部分まで取り除いたから」
医師が今まで言ってきた言葉は嘘だったんでしょうか?
どうにも納得できません。
よく仏の顔も三度までといいます。
ということは、仏様だって四度目からはブチ切れているはずです。
なので、ジロウモンもこの時は少しキレてもいいのではないかと思いました。
『仕方ないよ』の一言で処理するの?
『お大事に』で片付けられる問題なの?
色々と不平不満を言った気がします(笑)
しかし、だからといって何も対処しないわけにもいきませんでした。
痔瘻は放っておけば症状がどんどん悪化していく可能性があるからです。
とはいえ、流石にもう、同じ病院で手術なんかはしていられません。
再発はしないはずと何度も言われているにもかかわらず、再発しているからです。
そこで、ジロウモンは、痔瘻手術で有名なお尻のお医者さんを探し出し、そこで手術を受けることにしました。
4回目の痔瘻、「シロウ」を完全に退治するためです。
手術は無事成功。シロウを完全に取り除くことができました。
痔瘻手術のスペシャリストに手術してもらったわけですから、これで安心です。
医者からは、「正直言うとこれ以上お尻にメスを入れるのはリスクが高いから本当に良かったね」と言われました。
これ以上お尻にメスを入れると、排泄機能に障害が出て人工肛門になる可能性もあったそうです。
危なかったと思いました。
この時初めて「何事もその道一番の専門家に頼むべき」ということを強く学びます。
本当は病気が分かった時、もっと詳しく調べ痔に特化した病院を受診すべきだったのです。
そういった行動をしておかないと、失敗してしまった時、後悔してしまう恐れがあります。
「最善の方法を本気で探していく」
この姿勢が、何事にも必要なんですね。
退院後は、とにかく勉強を頑張るようになりました。
痔瘻なんかで毎回毎回出遅れてきた人生が悔しかったからです。
吹奏楽部については復帰せずそのまま辞めました。
体調が完全に回復してきた時は、もう高校2年生の秋頃。
大学受験について真剣に考え始めなきゃいけない時期がきていたのです。
この頃は、「将来困りたくない…」という不安感ばかりが先行していました。
【少しでも良い大学に入っておかないと…】
そう考えた、ジロウモンは勉強に時間を費やしていきます。
すると、努力した甲斐もあり、ジロウモンは定期テストで学年2位の成績がとれました。
文系だけが対象だったこともありますが、今までそんな順位はとったことがなかったため、この時は、努力はちゃんと実るのだと少し報われた気持ちになりました。
「高校3年生」~5回目の痔瘻「ゴロウ」~
高校3年生になると、そのまま受験戦争へと突入していきます。
全ての時間を勉強につぎ込みました。
勉強することが学生の本分なのです。
しかし、そんな中、また因縁のアイツがやってきました。
「痔瘻」です。
5回目の痔瘻なので「ゴロウ」ですね。
もう、ジロウモンの心は完全に折れました。
なぜ、こう何回も痔瘻になってしまうのか。
全く理解できませんでした。
この先1年に1度、痔瘻になり続けるのでしょうか。
「どうして自分だけこんな目に...」
「やるべきことはちゃんとやっているのに...」
このような感情が湧いてきました。
もうお尻の耐久値はゼロに近いでしょう。
これ以上お尻が手術に耐えきれるとは思えません。
次、手術すれば排泄機能を失う可能性すらあります。
しかも、今回は、痔瘻だけではなく国が難病指定をしている「クローン病」である可能性が高いのではないか、とも言われました。
難病ということは治療法がないということです。
これまで何回も何回も、今回が最後だと思って手術を受けてきました。
にもかかわらず、五回目。
しかも、難病であるクローン病の可能性が高いと医師から言われ、ジロウモンは将来に対して絶望的な気持ちになっていきました。
「このままでは、一生病気に縛られる...」
そんな恐怖心が湧いてきたのです。
内向型HSPには、情報を深く分析しようとする傾向があります。
不安になって、調べれば調べるほど悲観的な要素が頭の中に入り込んでいくという悪循環に陥っていきました。
しばらくジロウモンは目の前がまっくらになりました。
ほぼ瀕死状態でしたね。
ポ〇モンセンターに行っても回復しないレベルだったと思います。
しかし、その時はもうすでに高校3年の秋。
すぐ目の前には、大学受験が迫ってきていました。
両親と話し合った結果、検査や手術は緊急性が高いわけでもないので「まずは大学受験に集中しよう」となります。
ただ、その状況の中で受験勉強をしても、全然上手くいきませんでした。
この時のジロウモンは、将来に対する希望を失っていたからです。
うつ気味になっていたんだと思います。
とにかく、受験を乗り切って「大学に入学してから治療に専念すれば良い」という方針で受験に臨みますが、ジロウモンは予定していた大学入試全てに失敗しました。
大きな喪失感が襲ってきます。
「もう人生終わった...」
そう思いました。
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